ブランドン・ミルチの素晴らしいハンドシェープ・サーフボードの世界。
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「製品紹介」
Passion8:
28年の経験を誇るオーストラリア職人シェーパーMilchの新ブランド。従来のボードに比較して、ターンの切れ味、スピードの乗りに非常に定評があり、多くのゴールドコーストのライダーに支持されている。またMilchの妥協を許さない、徹底した手仕上げによるボードの乗り心地は多くのプロライダーのお墨付き。

Dion Angus
Al Benstead
Dion Agius Al Benstead




プロフィール

名前: BRENDAN MILCS (ブレンダン・ミルチ)
誕生日: 1961年8月12日 タスマニア
サーフィン暦: 13歳から
ハンドクラフトシェーパー暦: 24年


皆さん、こんにちは!サーフィン楽しんでますか?
今日はこのサイトに来てくれてありがとう。
ここに私の簡単な略歴を紹介します。
私がサーフボードを作り出したのは、まだ親元にいる16歳の頃です。初めのインスピレーションはタスマニア西海岸のOSPRAY SURFBOARDSを作っているKippa Nunnから受けました。まさにその時から今に至るまで、私の望んだ全ては、ずっとサーフボード作りです。 

Milch 1974


そして、1978年、ニュー・サウス・ウェールズ州のShoalhaven Headsに移り、“マスタークラフトマン”ことAL WILSONのCHRISTY SURFBOARDSに師事するようになりました。当時はどんなことでも進んでやり、サーフボード製作に関することなら何でも学ぼうとしていたことを覚えています。そして、ゴールドコーストにその後また引越した頃には、自分もいつかは世界一のシェーパーになりたいと思うようになっていました。

まずは決心を固め、当時のサーフィン文化の都であるBurleigh Heads Surf CoとSurfmore(Peter Mo から教えを受けた場所)に行き、自分の腕に磨きをかけます。基本となるsanding, glassing, polishing, fin foilingを徹底的にマスターした後、 幾らかのshapingも手がけるようになりました。思えばこの頃に出会った仲間たちのことは生涯忘れられません。Dick VanStraalenと共に働き、その哲学等にも影響を受けました。また職人シェーパーの鏡である、Richard Harvey, Peter Droyun や Mike Perryにも感銘を受けました。
MikeはU.Sのシェーパーで彼のスキルには畏敬の念が沸きます。かなり親しくなってきたので、一度彼の道具を借りようとしたことがあったのですが、即座にこう言われました。「シェーパーになりたいのだったなら、自分の道具を持つべきだよ」今でもこの日のことはよく覚えています。

1982年には私の初めて(!)のMILCHステッカーが完成し、Peter MoはQLD州のTugunにある彼のサーフショップ“Surfmore”で私のシェイプしたボードを販売してくれるようになりました。皆さんもどれほど私が嬉しかったか想像できるでしょう?

そしてGold Coast hinterlandのCaroolに引っ越し、自分のボード制作に没頭します。この時Victoria 州のWatercooledと言うメーカーのKim Thompson(今までに見たベストサーフボードメーカー)のためにシェープが出来るという素晴らしい依頼があり、そこに4ヶ月滞在して多くを学びます。

その後はまた、タウンに戻りNewline Surfboards のRobert Websterのために働くようになりました。このときは一層腕に磨きをかけたい時だったので既成のデザインと一緒に自分のオリジナルのシェイプもどんどんデザインしました。

そんな時にとても素晴らしい依頼が舞い込みます。
Milch 1982
 

Jim Banksに「自分の為にオリジナルシェープのボードを専属で作って欲しい」と声をかけられます。これは既成の型を使わない、カンナを使ったシェイプで、自分が一番磨きたいスキルであったため直ぐに同意しました。彼はCurrumbinに素晴らしい場所を持っていて、ここで7”foot以上の物をメインに多くのボードを削りました。

Gold Coast生活も五年を越える頃、またバリに戻ります。この旅は私をIslander Classicスタイルに導くものでした。そして、Hawaiiに行きたいと思っていた望みも1990年に成し遂げられます。空港からDennis Pang にピックアップされて“Pineapple”といういい相棒と一緒にNorth Shoreに直行しました!!最高の思い出です。後にこの場所でJames Turnbullに出会うことになります。彼はEd SurfossがオーナーのCountry Surfboardsのカリスマシェーパーです。そして私はここでも自分のボードをシェイプできました。

Milch 1985 _01

Milch 1985_02

そして翌年、Glenn Minamiをトップシェイパーとする、かの有名なBlue Hawaiiで働きました。その人気は現地のほとんどのサーファーが最低一枚はMinamiのボードを持っているというほどのものです。
私は本当にBlue Hawaiiでシェーパーを出来てうれしく思っています。サーフィンをする上でそこのクルーと知り合いになれたことで、ちょっと得することもありましたよ。(笑)Hawaiiでは世界のその他の所では、まず到底お目にかかれないボード等に多く触れました。私にとって大きな影響を与えてくれた場所です。
その後、North Shoreでオーダーが入り始めるようになると、ローカルのライダー達の為にシェイプをするようになりました。このため、この後二年も行ったり来たりを続け、9月から12月迄をHawaii、夏はGold Coast、タスマニアとバリへの旅行はその空いた時間にするようにしました。とても忙しくなってきた頃ですね。

オーストラリアに戻れば、私はEddie Hooperと仕事を共にし、Banksyのためにシェイピングをし、休みなくシェーピングを続けます。強く支持してくれたMic Stewart, Steve Bayer, Ross Marshall, Darren McGoo, Bevo, Jason Johnson, Gaily, Hoppyや街の若いサーファーのみんなありがとう!
そしてまたW.A(ウエスト・オーストラリア)も見てみたかったので、車で引けるトレーラーを作り、愛車Holden Commodoreで引っ張って、はるばる行って参りました。(笑)
Yokes PeninsulaからPenong (Caves), Denmark, Margaret River, Kalbarri, Bluff, Narloo (Tombstones)そして 、またMargaret Riverと旅を続けます。
その場所のひとつではDelta SurfboardsのMartin Littlewoodと働きました。そこではあまり多くのサーフボードはありませんでしたが、Martinはセイルボード製作の仕事を抱えていたため、なんと私はこれを手伝うことにしました。(!)まさかここまで私の旅が遠くに行くことになるとは思いませんでしたよ。まあセイルボードも要はドでかいサーフボードのようなもんですよ。(笑)
そんなわけで、その年は12月までW.Aに滞在し、Nullaborを抜けてクリスマスにはタスマニアの家族に会いに行きました。
そうこうして、私の人生はここで新たな転機を迎えることになります。
私のホームタウン、タスマニアの西海岸Marrawahで一つの工場を作り、ここに一度落ち着くことになりました。週に数枚、全て自分の手作業でシェープをし、サーフィンをする。波は常に2-15” feetあり、そしてポイントには贅沢なことに、誰もいないのです。(笑)全てが、とてもリラックスしていて、多くのサーファーが望むような場所でした。ここに4年住み、ゴールドコーストに戻る決心をします。
そして街に戻った後、なじみのBrothers NeilsonやHIC Australia、Lightning Bolt Surfboards、Gerry Lopez International等からシェープの依頼を直ぐに受けることが出来ました。
この長い歴史が今日の私を形作っています。そして、25年の時を経て、MILCHの成果は新レーベルPASSION 8として生まれ変わりました。

私達一同はあなたのサーフボードに関する事ならば“全て”の分野において、お役に立てると思いますよ。


私は今現在、マイケル・ピーターソン(注:オーストラリアのレジェンド・シェーパーは彼抜きでは語れません)の愛弟子として、彼と一緒にM.P UNDERGROUNDのボードシェイプしています。


“もしも、あなたが、誰か豊かな経験を持った、そして気の利いたシェーパーをお探しならば、もうこれ以上探す必要はないかもしれませんね…。”



敬具
ブレンダン